ところが、イカの哲学ではイカの実存を感じてやれという。イカと人間、どちらが正しい?
プラグマティズムの論点は置いておいても、実行主体者(生命ということですね)としての"私"の視点では以下の2点を考えたい
1.その意志決定と実行に自らの意志と決意があるか
2.相対的(客観的)な視点があるか
1は死んでもやる、全身全霊をかけてやる云々。オケラだってミミズだって、評価なんて関係なくやってるでしょう。
2は結果主義からはブレーキにもなり得るが、比喩能力ということで、人間がこれまで地球で生き延びてきた知恵の一つだとおもう。
1があり、2の結果人の意識が拡大しxxイズムが生まれ、共感が生まれ、例えば地球が狭くなり、正義や神をまじめに探したりと非常にかわいそうな状態に人間は置かれているのだろう。
イカの哲学で問題にしているのは、1がxxイズムの形態を取ってしまった場合、本質的に狭く身を寄せ合い、連続、非連続で暮らしている人と人(生き物と生き物も)は分かり合えないでしょ、邪魔し合うでしょということらしい。そこで中沢さんと波多野さんは、”自分の直感と五感に従って、生命の実存(難しい概念ですね)を感じて”ということを重視しているのでしょう。
宮崎駿さんのナウシカではないが、確かに、あらゆる正義、あらゆる神がそこらに充満した世界では、単にプラグマティズムのみでは中沢さんのいう超戦争を回避出来ないかとも思う。
キリストも言っているが「愛がなければ(=イカの実存を感じなければ=イカに共感できなければ)全てはむなしい」というあたりに答えがありそうだが、、、。
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